2008年3月18日火曜日

The situation concerning Rwanda

昨日3月17日、駒場研究会は駒場キャンパスコミュニケーションプラザにて、「ルワンダにおける人道的介入」というテーマで安全保障理事会第3368会合という設定の下、会議を行いました。参加された皆様お疲れ様でした!


会議の設定などについて少し説明しますと、舞台は1994年のルワンダ。そういえば『ホテル・ルワンダ』という映画がありましたね。観たことがある人は思い出してください。

ルワンダは1962年に独立するまではドイツとベルギーの植民地でした。ルワンダにはフツ族とツチ族という二つの民族が存在し、ドイツの植民地時代にツチ族による間接統治という支配形態をとったことから次第にツチ族が優遇され、民族対立の下地が作られました。ドイツの支配を引き継いだベルギーも間接統治の形態を採用しました。
1959年、体制から排除されツチ族への不満が高まっていたフツ族が、ツチ族との武力衝突を起こしました。その結果、フツ族は主導権を握り、1962年にベルギーから独立を果たしました。ちなみに独立の前後で、ツチ族の多くはフツ族政権からの迫害を逃れて周辺国に流出し、一部は国外からルワンダへの反抗を開始しました。
フツ族が政権を握り、1973年ハビャリマナが大統領に就任し、和平政策を掲げましたが、公的部門からのツチ族排除が改善されることはありませんでした。
そのような状況下で、1990年に隣国ウガンダで活動していたルワンダ愛国戦線(RPF)という集団がルワンダに侵攻して内戦が勃発しました。1993年に和平協定が結ばれ和平に向かうかに見えましたが、1994年4月6日にハビャリマナ大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜されるという事件が起こりました。この事件をきっかけとして内戦がエスカレートし、そのような事態の中、大量虐殺が始まりました。こうして、80万人が虐殺されるという歴史上まれに見る悲劇に至りました。

国連憲章は、国家間の紛争を武力を用いることなく平和的手段によって解決することを規定しています。しかし、平和的解決を図ったにもかかわらず、他国に対して武力の行使を行った国には国連憲章に基づく強制行動をとることになります。国連の強制行動は第7章に規定されており、安全保障理事会の決議に基づいて行われます。具体的には、安全保障理事会が、「平和に対する脅威、平和の破壊、あるいは侵略行為」と認定した時、場合によっては経済制裁や軍事制裁を発動することになります。
会議においてはこの「国際の平和と安全に対する脅威」にあたるか、つまり軍事的介入が認められるかが争点となりました。
今回の会議の設定日である4月21日に至る経緯は上に述べた通りですが、会議においては「介入」「撤退」「現状維持」のそれぞれの案を維持する国々の対立軸がありました。

この会議の設定日の直前、ソマリア内戦への介入で国際連合(アメリカがその中核を担っていました)は痛い失敗を経験していただけに、アメリカをはじめとする国々は非常に慎重に現状維持案を支持し続けました。
一方、ナイジェリア、ニュージーランドなどの国々は「そもそも国連の目的って国際の平和と安全の維持じゃないの?」という観点から介入案を支持し続けました。


会議は総会を想定している時とは違いややカジュアルな雰囲気で進められましたが、どの対立軸の陣営も一歩も譲らず、午前11時くらいに始まった会議も、途中休憩を挟んだとはいえ、日が沈むまで続けられました。あの白熱した議論に、「今年の駒場研究会の活動はすごく刺激的なものになる」と感じずにはいられませんでした。

遅くなりましたが東京大学前期合格者のみなさん、本当におめでとうございます!
今回は「模擬国連の会議ってどんな感じ?」というのを少しでも知っていただきたくて書きました。
模擬国連はみなさんの知的好奇心を刺激してくれるホットな場です!
とにかくちょっとでも興味を持った人は以前このページでお伝えしたサークルオリエンテーション、説明会を要CHECKですよ!

明治大学法学部法律学科2年山本裕太郎